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内野貴史の高校や経歴を調査|成績やプレースタイルよりもメンタルがすごい!

引用元:SAKANOWA.jp

内野貴史(うちのたかし)選手は、フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ)に所属するディフェンダーで、2022年に初めてU-21日本代表入りしました。

ユース時代は無名ながら、高校卒業後にドイツに渡り実績を上げていった内野貴史選手の出身高校や経歴、プレーや成績以上にここまで成長を続けてきたメンタル面の強さについて調べてみました。

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内野貴史の高校は?

内野貴史選手の出身高校は『千葉県立生浜(おいはま)高等学校』

千葉市にある普通の公立高校で、サッカーの強豪校ではないようです。

内野貴史選手は、中学時代も高校時代もクラブのユースチームでプレーしていたので、高校とサッカーは関係なさそうです。

経歴については次で紹介します。

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内野貴史の経歴

内野貴史選手がサッカーを始めたのは小学生の時で『新松戸SC』に所属していました。

その後、4年生から『柏レイソルU-10~12』、中学時代は『ジェフユナイテッド市原・千葉ジュニアユース(U-15)』、高校生のときは『ジェフユナイテッド市原・千葉ユース(U-18)』でプレー。

ユース時代は試合には出場していたようですが、結局トップチームからの声は掛からなかったそうです。

しかし、どうしてもプロになりたかった内野貴史選手は、両親を説得して2年間の約束で単身ドイツへ渡り、まずは5部リーグ所属『FCデューレン』のユースチームへ入団。

グラウンドも整備されていないような環境でハングリーに上を目指し、1年後に4部リーグ所属『アレマニア・アーヘン』のユースチームへ移籍します。

ここでユースからトップチームへ昇格

現在所属する『デュッセルドルフ(U-23)』との試合で活躍を見せたことで、相手チームのディレクターに注目され、熱心な勧誘を受けた結果、2021年6月に『フォルトゥナ・デュッセルドルフ(U-23)』へ移籍することになりました。

デュッセルドルフのトップチームには、田中碧選手(日本代表)アペルカンプ真大選手(日本・ドイツ代表)が在籍していることもあり、日本での注目度も高め。

セカンドチーム(U-23)とはいえ、ブンデスリーガ2部所属のデュッセルドルフに入団した内野貴史選手は、定期的に参加していたトップチームでの練習でも貪欲にアピールを重ねました。

2022年3月、チーム内にコロナ陽性者が多数出た関係で、初めてトップチームの試合にスタメンフル出場を果たし、その数日後に今度は『U-21日本代表』に初選出されます。

U-21日本代表では5試合に出場、2アシストを記録して、一気に名前を知られることになりました。

その後、デュッセルドルフでトップチームの試合には出場していませんが、ケガ(2022年10月現在)が完治したあとに、もう一度猛アピールしてチャンスをつかんでほしいところです。

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内野貴史のプロフィール

名前内野 貴史(うちの たかし)
誕生日2001年3月7日
年齢21歳(2022年10月現在)
出身地千葉県 松戸市
身長177cm
体重64kg
血液型A型
小学時新松戸SC
柏レイソルU-12
中学時ジェフユナイテッド市原・千葉U-15
高校時千葉県立生浜高等学校
ジェフユナイテッド市原・千葉U-18
ポジションDF(SB)
所属チームフォルトゥナ・デュッセルドルフ
(ドイツ)
利き足
代表歴2022年 U-21日本代表
 ドバイカップU-23(3月)
 AFC U23アジアカップ(6月)
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内野貴史のメンタルがすごい!

内野貴史選手の経歴を調べていると、とにかくメンタルの強さが半端じゃないと思わせられる話がたくさんありましたので、いくつか紹介します。

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プロになりたくて単身渡独

上でも書きましたが、内野貴史選手はとにかくプロになることが最優先でした。

本当は海外に行くのは嫌だったそうですが、目的のために自分を追い込んで嫌な環境にも飛び込むというのは並大抵の覚悟ではなかったのだと思います。

このときに説得した両親は実は二人とも元アスリート

お父さんが卓球、お母さんがバドミントン国体選手だそうで、内野貴史選手の小学生時代には、試合を途中であきらめたことを厳しく指摘されたそうです。

幼少時からこのような教えを受けてきた内野貴史選手の強メンタルの由来がわかるエピソードですね^^;

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ドイツでの下積み時代

内野貴史選手が、最初に所属したFCデューレンのユースチームでは、天然芝どころか赤土がむき出しになったピッチでプレーしていたそうです。

スカウトなど見に来るはずもなく、普通ならすべて投げ出したくなるような状況でも、がむしゃらに頑張った結果、アレマニア・アーヘンのスカウトの目に留まり1回目の移籍が実現。

その後も両親のことや自分がプロになりたい思いを決して忘れず、次はないという気持ちで走り続け、声を出し続けたところ、今度はフォルトゥナ・デュッセルドルフからオファーをもらうまでに。

なんとデュッセルドルフは移籍金を出してまで内野貴史選手を獲得したかったとのことです。

クラブディレクター曰く「とても積極的でアグレッシブなサッカーを展開し、その俊敏性で座へ向かうプレーに重要なインパクトを与えることができる。とてもポジティブな性格で、我々のチームにとてもよくフィットするだろう

この言葉通り、フィジカルだけでなくメンタルもかなり評価されていたようです。

「日本人には珍しいドイツ人のメンタリティを持っている」とも言われたとのこと(笑)

諦めずに勝ち取る姿を見て元気づけられた人もきっと多いでしょうね!

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U-21日本代表での姿勢

内野貴史選手はU-21日本代表でも強メンタル発揮していました。

U-23クロアチア代表との試合では後半から出場、積極的にチームメイトへ声をかけて、戦う姿勢を出すように促したうえでの、この試合後のコメントにビックリしました。

「日の丸をつけて戦う以上、どれだけチームのために、国のために戦えるかがまず一番大事だと思うので、そういう意味で言ったら、今日の試合は少し足りないかなと外から見ていて思ったので。ミスしてもチームとしてみんなでやろうというメンタルをチームに落とし込もうと意識してずっとやっていました」

引用元:FOOTBALL CHANNEL

代表の初戦で出てくる言葉とは思えません^^;

普段からよほどの心掛けがないと、このコメントはできないと感じました。

今後も精神的な柱として、代表チームを引っ張っていく存在になる可能性大です!

ところで、内野貴史選手がドイツに渡り一人で戦っているときに支えあっていた相手が、ポルトガルのSLベンフィカでプレーする小久保玲央ブライアン選手

柏レイソル時代の縁と思われますが、日本にいる時から仲良しだった二人はヨーロッパに渡ったのも同時で、毎日のようにビデオ通話でお互いを励ましあっていたそうです。

まさかのU-21日本代表で一緒になったときはうれしかったでしょうね!

内野貴史選手のInstagramに小久保玲央ブライアン選手とのツーショットが載っていました(3枚目)

 
 
 
 
 
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まとめ

最後まで読んでいただき、ありがとうございます(^^)

チームを鼓舞して引っ張る選手はどの競技にも必須ですが、内野貴史選手は2024年のパリ五輪や2026年のW杯でその役割を担ってくれる選手になるのではないでしょうか。