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児童養護施設出身の芸能人・有名人まとめ|生い立ちやその後の活躍とは

2024年の24時間テレビ『チャリティーマラソン』のランナーを務める芸人・やす子さんが、自身が児童養護施設出身であることを告白して話題になりました。

今回は、児童養護施設出身という経歴を持ちながらも、逆境を乗り越えて活躍する芸能人・有名人8人の生い立ちやその後について調査しました。

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児童養護施設出身のスポーツ選手の生い立ちやその後

児童養護施設出身のスポーツ選手を、2人紹介します。

●相内誠 (プロ野球選手⇒格闘家)
●坂本博之 (プロボクサー)
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相内誠 (プロ野球選手⇒格闘家)

相内誠選手の写真

引用元:ENCOUNT

名前相内 誠 (あいうち まこと)
生年月日1994年7月23日
年齢30歳(2024年8月現在)
出身地千葉県 柏市
職業格闘家
身長185cm
体重65kg
血液型B型
経歴千葉国際高校(投手)
⇒ 西武ライオンズ 2013~20年
⇒ 格闘家 2021年~
格闘技成績3戦 3敗 (RIZE)

相内誠選手は、中学1年生から高校卒業までの6年間、千葉県富津市にある「望みの門かずさの里」という児童養護施設に入所していました。

野球は小4から始め、天羽中学校でも軟式野球部に所属。

その後、千葉国際高校(現:翔凜高校)に進学し、1年から投手として活躍すると、3年時には県大会3回戦敗退ながら、西武ライオンズからドラフト2位指名を受けて入団しました。

相内選手は、児童養護施設への入所理由について詳細は明かしていませんが、報道陣からの「契約金で親孝行したいか?」という質問に対して、「まったく考えてないです」と返答しています。

親にいい印象を抱いていないことがわかるので、入所までの経緯含めて相内選手にとって納得いかないものだったのかもしれません。

入団後は、2015年イースタンリーグで最多勝に輝いたものの、腰・肘の怪我や再三にわたる不祥事によって、2020年終了後に戦力外通告を受けて退団。

その後、2021年から格闘家に転身

RISEでは3戦全敗ながら、『Breaking Down』で1度勝利を収めています。

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坂本博之 (プロボクサー)

坂本博之さんの写真

引用元:スポーツ報知

名前坂本 博之 (さかもと ひろゆき)
生年月日1970年12月30日
年齢53歳(2024年8月現在)
出身地福岡県 田川市
職業プロボクサー (1991~2007年)
⇒SRSボクシングジム会長 (2010年~)
身長170cm
血液型A型
戦績総試合数47試合
 39勝 (29KO)  7敗  1引き分け
タイトル・第49代東日本ライト級新人王
・第39代全日本ライト級新人王
・第44代日本ライト級王座
・第34代OPBF東洋太平洋ライト級王座

坂本博之さんは、物心つく前に両親が離婚して、乳児院に入所していました。

2つの児童養護施設を経て、5歳から小2までは母親・弟と福岡で同居

その後、兄弟で親戚に預けられたものの、虐待を受けてふたたび福岡市内の児童養護施設『和白青松園』に入所することになります。

ただ、母親は育児放棄をしていたわけではなく、東京で働いていたとのこと。

後に兄弟を迎えに来て、埼玉で一緒に暮らすなど関係は良好のようです。

20歳でプロボクサーとしてデビューした坂本さんのファイトスタイルは、『相手のパンチを恐れず、ひたすら前に出て打ち合う』というもの。

このような戦い方を見せることで、自分と同じ様に児童養護施設に預けられたり、不遇な経験をした子供達に生きる希望・勇気を与えたかったそうです。

実際に、坂本さんの強打と一歩も退かない姿勢は大人からも支持を集め、2000年に行われた畑山隆則さんとのタイトルマッチは、今も伝説になっています。

同じ2000年には、児童養護施設を支援する「こころの青空基金」を設立

現在もSRSボクシングジムの経営とともに、子どもたちへの支援活動を続けています。

後述する川嶋あいさんは、坂本さんと同じ『和白青松園』出身の後輩になります。

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その他の児童養護施設出身のスポーツ選手

本記事では詳しく触れませんが、他にも児童養護施設出身であることを公表している存命中のスポーツ選手は、以下の通りです。

・苗村修悟 (プロボクサー)
・風神ライカ (格闘家)
・コマンド・ボリショイ (元プロレスラー)
・佐賀昇 博 (元力士)
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児童養護施設出身のアイドル/モデルの生い立ちやその後

続いては、児童養護施設出身として知られているアイドル/モデル2人紹介します。

●仲川遥香 (アイドル)
●田中れいか (モデル)
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仲川 遥香 (アイドル)

仲川遥香さんの写真

引用元:ENCOUNT

名前仲川 遥香(なかがわ はるか)
生年月日1992年2月10日
年齢32歳(2024年8月現在)
出身地東京都
職業アイドル
タレント
身長160cm
血液型O型
所属電通インドネシア
経歴 AKB48 3期生(2006~2012年)
 JKT48 (2012~2016年)
 現在はインドネシアでタレント活動中
XHaruka Nakagawa 仲川遥香

仲川遥香さんは、4人兄弟(弟以外の3人は女子)の次女として誕生し、3歳頃に両親が離婚

母親の顔は覚えていないそうです。

プロレスラーだった父親が親権を持ったものの、経済的に不安定だった父は、祖母に子供たちを託して、家を出て行ってしまったとのこと。

祖母は、消費者金融から借金をしてまでも子供達を養ってくれますが、仲川さんが8歳の時に心臓病で入院してしまい、仲川さん達は、そのまま見知らぬ大人に児童養護施設へと連れて行かれたそうです。

いつまで児童養護施設に入所していたかはわかりませんでしたが、体の調子が悪い祖母だけで、4人も育てるのは難しい気がするため、少なくともAKB入りまでは施設に入っていたのではないでしょうか。

仲川さんは14歳のときにAKBのオーディションに合格し、18歳で選抜メンバー入り。

その後、20歳でJKT48に移籍して以降、現在もインドネシアに在住して活動しています。

また、仲川さんたちを捨てて出て行ったとしか報道されていない父親ですが、仲川さんのポストを見る限り、関係修復済みと考えて良さそう。

実はどこかのタイミングで帰ってきて、普通に働いていた可能性もあります。

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田中れいか (モデル)

田中れいかさんの写真

引用元:読売新聞

名前田中 れいか (たなか れいか)
本名田中 麗華
生年月日1995年12月4日
年齢28歳 (2024年8月現在)
出身地東京都 足立区
職業社会運動家
モデル
身長170cm
血液型O型
大学駒澤女子短期大学 保育科 卒業
肩書一般社団法人ゆめさぽ代表理事

田中れいかさんは、会社員の父親・パートの母親・兄・姉の5人家族で暮らしていましたが、徐々に両親が夜中に大喧嘩することが多くなり、嫌気が差した母親は家を出ていってしまいます

すると次は、父の怒りは子どもに向かうようになっていったとのこと。

そんなある日、家事でミスをして父親に『出ていけ』と怒鳴られた姉は、パジャマ姿のまま家を出ていき、田中さんはそのまま姉についていったそうです。

このとき、田中さんは小学校1年生(7歳)

児童相談所で1か月半ほど保護された後、世田谷区の児童養護施設『福音寮』に入所し、高校卒業までの11年間を過ごしました。

高校卒業後は、保育士を目指して駒澤女子短大に進学するも、ファッションの世界に興味が湧き、留年を経てモデルの道へ。

茨城県に住む父親に気づいてもらうために出場した『ミスユニバース2018茨城県大会』では、準グランプリ・特別賞を受賞しています。

これを機に、自らの児童養護施設での経験について情報発信を始め、”施設出身モデル”としての活動を開始した田中さん、

現在は、児童養護施設や里親家庭から進学する子たちの受験費用をサポートする『一般社団法人ゆめさぽ』の代表理事を務めるほか、社会的養護専門メディア『たすけあい』の運営に関わるなど、精力的に活動しています。

ちなみに、父親に対しては複雑な感情を持ちながらも、歩み寄ろうと努力している最中とのことです。
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その他の児童養護施設出身のアイドル/モデル

本記事では詳しく触れませんが、他にも児童養護施設出身であることを公表している存命中のアイドル/モデルは、以下の通りです。

・荒金さとみ (モデル/インフルエンサー)
松尾知枝 (タレント/モデル/コラムニスト)
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児童養護施設出身のアーティスト/女優の生い立ちやその後

次は、児童養護施設出身として知られているアーティスト/女優2人紹介します。

●川嶋あい (アーティスト)
●石田えり (女優)
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川嶋あい (アーティスト)

川嶋あいさんの写真

引用元:UtaTen

名前川嶋 あい (かわしま あい)
本名川島 愛
生年月日1986年2月21日
年齢38歳(2024年8月現在)
出身地福岡県 福岡市 早良区
職業シンガーソングライター
2002年~
身長非公表
血液型AB型
レーベルつばさレコーズ
事務所ダブルウィング

川嶋あいさんが児童養護施設に入所していた期間は、0~3歳の3年間ほど

生まれた時点で、父親は行方不明、母親は出産後に体調を崩してしまったため、そのまま乳児院に入所したとのことです。

その後、上記したボクサー・坂本博之さんと同じ児童養護施設『和白青松園』で過ごしますが、3歳の時に母親が回復することなく亡くなったことから、建設会社を経営していた川島家に里親として引き取られました(その後、養子縁組)

極度の人見知りを改善するために通った音楽教室で才能が開花した川嶋さん、

演歌歌手で挫折を経験するも、高1のときに上京して精力的に路上ライブを行って知名度を上げ、テレビ番組・あいのりの主題歌『明日への扉』(I WISH名義)がチャート1位を獲得したことで人気に火がつきます。

現在は、2022年に手術を行った声帯の不調のため、ライブ活動の一線からは退いていますが、歌うことをやめたわけではなく、ファンとの交流は活発に続けられています。

川嶋さんは、デビュー間もない2000年代半ばから、私財を投じて発展途上国への児童養護施設や学校建設の支援をするなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んできました。

やはり自身の児童養護施設での経験から「同じ境遇の子に何かしてやりたい」という思いが強いとのことです。

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石田えり (女優)

石田えりさんの写真

引用元:NHKアーカイブス

名前石田 えり (いしだ えり)
本名内田 恵理子
生年月日1960年11月9日
年齢63歳(2024年8月現在)
出身地熊本県 八代市
職業女優 (1976年~)
身長162cm
血液型A型
所属事務所トライアングルCプロジェクト

石田えりさんが児童養護施設に入所していた期間は、3~9歳約6年間

両親の離婚により、妹と一緒に入ることになったそうです。

その後母親に引き取られると、中3で上京、高1のときに芸能界活動を開始しました。

デビュー当初は、クイズ番組のアシスタントを務めていましたが、レッスンや演技経験を重ねて、映画・ドラマ・舞台と活躍の場を広げ、2021年にはハリウッドデビューも果たしています。

他に、社会貢献活動などの情報は見つかっていません。

石田さんが児童養護施設に入所していたことを告白したのは、1990年代に出演したトーク番組『オシャレ30・30(日本テレビ系列)』内とのこと。

それ以降、施設絡みの件に関しては発言していないと思われます。

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その他の児童養護施設出身のアーティスト/女優

本記事では詳しく触れませんが、他にも児童養護施設出身であることを公表している存命中のアーティスト/女優は、以下の通りです。

・豊川誕(歌手)
・松本哲也 (シンガーソングライター)
・真魚 (女優)
・古原靖久 (俳優)
最後は、児童養護施設出身の専門家/実業家です。
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児童養護施設出身の専門家/実業家の生い立ちやその後

児童養護施設出身として知られている専門家/実業家2人紹介します。

●藤沢とおる (漫画家)
●宗次徳二 (実業家)
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藤沢とおる (漫画家)

藤沢とおるさんの写真

引用元:@Press

名前藤沢 とおる (ふじさわ とおる)
生年月日1967年1月21日
年齢57歳(2024年8月現在)
出身地北海道
職業漫画家 (1989年~)
代表作『湘南純愛組』
『GTO』
『TOKKO 特公』

藤沢とおるさんは、小3~小5までの3年間を東京の救護院(現:児童自立支援施設)で、小6~中3までの4年間を千葉県の児童養護施設で過ごしています。

両親が別居して父親に引き取られたものの、父親が家にいないため、外で夜遊びをして寂しさを紛らわせていたとのこと。

救護院(児童自立支援施設)は、主に非行少年の自立・更生の支援をしていることから、補導⇒入所という流れになったのでしょうか。

また、児童養護施設に入所するために、北海道から関東まで渡ったのかも不明。

なので、地理的な要因もあったのかもしれませんが、「会いに来る」と約束していた父親は、まったく面会に来なかったそうです。

その後、藤沢さんは中学卒業と同時に母親に引き取られて暮らし始めますが、17歳の時に漫画家を目指して上京

漫画家のアシスタント等を経て、1989年にデビューし、1990年から『湘南純愛組』の連載を開始すると、間もなく人気漫画に。

続いて連載した『GTO』もヒット作品となり、現在も漫画家として活躍しています。

『GTO』関連では、児童養護施設が舞台の作品『GTO SHONAN 14DAYS』を、2009年から連載していました。

藤沢とおるさんは、社会貢献活動にも熱心に取り組んでいます。

漫画家が集まり、困難を抱える子どもたちを応援するボランティア活動『ビースマイルプロジェクト』への参加のほか、東日本大震災の被災者を支援するための、人気漫画家の有志によるチャリティ同人誌『pray for Japan』でも執筆しています。

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宗次徳二 (実業家)

宗次徳二さんの写真

引用元:the Entrepreneur

名前宗次 徳二 (むねつぐ とくじ)
生年月日1948年10月14日
年齢75歳(2024年8月現在)
出身地石川県
職業実業家
肩書株式会社壱番屋 創業者・特別顧問
NPO法人 イエロー・エンジェル 理事長
宗次ホール 代表
株式会社ライトアップ 代表

カレーハウスCoCo壱番屋の創業者として有名な宗次徳二さん。

児童養護施設で過ごしたのは、0~3歳までの約3年間となります。

宗次さんは、生まれた時点で両親が不明だったため、生後すぐに兵庫県尼崎市の孤児院に入所し、3歳の時に、雑貨商を営む宗次福松・清子夫妻の養子となりました。

ただ、養父がギャンブル狂で生活が苦しく、愛想を尽かした養母は家を出ていきました。

そこからは、ほぼ養父と2人暮らし。

電気や水道を引くこともできず、雑草を抜いて食べるほど困窮した生活を送っていただけでなく、養父にたびたび身体的な虐待を受けていたそうです。

すると15歳のときに養父が胃がんで死去、その後は名古屋で養母と同居するようになります。

アルバイトで学費や生活費を稼ぎつつ、愛知県立小牧高校を卒業した宗次さんは、『八洲開発(不動産)』『大和ハウス工業(住宅メーカー)』を経て独立し、岩倉沿線土地(不動産仲介業)を開業しました。

その後、副業的に始めた喫茶店が天職であると感じ、すぐに岩倉沿線土地を廃業して飲食に一本化、奥さんが作ったカレーに活路を見出し、1978年『カレーハウスCoCo壱番屋』の創業に漕ぎつけました。

以降は、順調に店舗を全国に拡大し、2024年現在、国内で1200店舗以上を展開しています。

幼いころ極貧の生活を送っていた宗次徳二さんは、やはり社会貢献活動に熱心で、2003年には、「音楽・スポーツ振興」「福祉施設」「ホームレス支援」などを目的としたNPO法人『イエロー・エンジェル』を設立して理事長に就任しています。

また、株式会社壱番屋時代から、地域・社会への奉仕活動に取り組み、現在でも同社は

★地域貢献活動
 ・カレー提供
 ・近隣清掃
 ・自主提案型ボランティア
 ・寄付・協賛
 ・青少年の育成支援
 ・ふるさと納税返礼品監修
★災害復旧支援活動
 ・社内有志による募金支援
 ・炊き出し等による支援
 ・災害時帰宅困難者支援活動

★社会福祉活動
前年度利益の1%程度を目処に各施設・団体へ寄付、カレー提供などの各種支援活動

★その他活動
 ・フードバンクへの食材提供
 ・補助犬

と、体系がしっかりと確立した貢献活動を実施しています。

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その他の児童養護施設出身の専門家/実業家

本記事では詳しく触れませんが、他にも児童養護施設出身であることを公表している存命中の専門家/実業家は、以下の通りです。

・松本大洋 (漫画家)
・永田晃一 (漫画家)

・草間吉夫 (元政治家)
・鳥居 (歌人)
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まとめ

最後まで読んでいただき、ありがとうございます(^^)

<児童養護施設出身の芸能人・有名人まとめ>
●児童養護施設出身の有名人は、いろいろな業界で活躍している
●児童養護施設出身の有名人は、社会貢献活動に熱心な人が多い
●児童養護施設に入所するのは、人(家庭)それぞれの理由がある